とよぶ

歌いながらコード書いてます

今日、泣いた話

1ヶ月前に福岡に帰ったばかりなんですけど、今、また福岡に帰ってます。
その理由はタイトルにちょっとだけ関係あるんです。

今日の内容は外に公開するのがちょっとはばかられるんですが、
自分の中ではとてもとても思い出に残る出来事だったのと、心が滾る出来事だったので、
これは残さないといけないような気持ちで今書いてます。

まだ泣いてないけど、書いてる途中に泣くかな?泣きそうw

突然の帰省

祖父が体調を崩しました。

もともと脳梗塞を患っており、麻痺が残っていたり、下半身がもう弱りきっていたのもあって、
前回1ヶ月前に帰省した時にはもうほぼ自分で立てないレベルで、僕のことも識別できないほどだったので、
あまり先が長くないなと覚悟もしていたし、近いうちに帰ってくるなと思ってました。

それからちょうど1ヶ月が経ちました。
例によって祖父は入院し、今は病院で寝たきり、酸素吸入器を使って呼吸をするレベル。
僕が帰ってくる前の日にはとてもひどい発作があったりして、危険な状態だったみたいですが、幸い僕が帰ってきて見舞いに来た時はとても安定して、普通に寝ている様子でした。

いつ発作が起こるかわからない。
今まで色々かわいがってもらったので、お礼がきちんと言いたい。

でも僕は言えませんでした。
だってそれを言えばもう死んだと捉えているものだと思ったからです。

だから心のなかで、思い出を反芻するにとどまりました。

母方の実家へ行く

上で述べた祖父ってのが父方の祖父で(以下、父祖父)、父祖父の入院している病院から母方の祖父母(以下、母祖父、母祖母)の家がとても近かったのです。
僕はめったに帰省しないし、とは言え1ヶ月前帰省して訪れはしていたんですけど、父祖父の現状を伝えるという役目もあると思ったので、母方の実家に向かいました。

ここでやはり母の話をしないといけないでしょう。
母は僕が幼稚園年長さんの頃に亡くなりました。
ガンでした。

当時の僕はそのことを、ただ記号的にしか捉えることができず、ただただ普通に見送ったことしか覚えていません。
無駄にお通夜の会場で見ていたアニメがドラゴンボールZだったことは覚えています。

それから数年後、父は再婚し、今は新しい母がいます。
状況が状況だったので、当時はみんな大変だったと思いますが、家族みんなとても仲良く、とてもいい母です。
とても頼りにしてます、頼れる人です。

母方の実家に行った時に、父祖父が危ないという話をした流れで、普段はあまりしないような話をたくさんしました。

母祖父の書道の話

なんか色々盛り込み過ぎだと思うんですが、一連の流れだしココで書かないわけにはいきません。

母祖父は地元では結構有名な書道家で、その道を突き進んだ人です。
働きながらですが、音楽を志す僕にとっては、近くはないけれど、遠くはない道を歩むのではと、勝手に人生の先輩だと思っていましたし、ずっとその話をしたかった。
いい機会なので色々と話を聞いてみました。

まとめると以下。

  • 書道は好きだから趣味のような形で長年やっていた
  • 40歳位で本格的にやり始めたけど、書道展に出すも、師事する先生の派閥とか出身とかいろいろあり、全く入賞しなかった。内容は大差ないというより、むしろ絶対自分のほうがいい作品だった
  • あまりにも悔しいので、49?59?くらいから(1の位しか覚えてない。後日訂正するかも)京都の超大御所の先生のところまで定期的に通って修行をした
  • 超大御所先生に実力のお墨付きをもらって、いざ一番大きい書道展に出したら1番とれた
  • それから地元の派閥とかに対してニュートラルな活動を続けた
  • 既存の人達は月謝だとか謝礼だとか出展費用とかで暮らしてるけど、そもそも書道家みたいな芸術家は、モノを生み出して、それに対しておカネをもらって生計を立てていくもの
  • 書道家は作品を見た時、その余白で認識する
  • 雑念のない、野心のない人が書いた字が美しい。見たらそれが伝わってくる

などなど。

この話は今の自分、これから目指す自分にとって、滅多に手に入れられない金言でした。
一生忘れません。

死んだ母の話

もう色々話したので、テンション上がってしまって、今までちゃんとしたことなかった母の話をしました。

今でも、いや今だからこそふと思い出すことがあるんです。
小さい子供二人を残して旅立っていくその無念、その恐怖、その痛さ。
だから、その時母はどんな気持ちだったのかと、どんな様子だったのかと、どんなことを言っていたのかと。

病気が発覚してそれはそれはあっという間に1年と経たずに逝ったそうです。
もはや心の準備をする暇なんて与えてもらえなかったのかな。
いつになったら治るのか、いつになったら元に戻るのかなって、その気持でいっぱいだったと思います。

無くなる直前までトイレも自分で行けたらしい。
胃の全摘手術後、目が覚めたら母祖母の顔をつねったりして必死に現実かどうか確かめたらしい。
きれいな花畑に誘われたけど、川の向こうから僕と2つ下の弟が必死に呼び止めたから戻ってきたとか。
亡くなるその日、「雲はどこにでも行けるからいいなあ」とつぶやいたって。
紙を取ってもらって、そこに「私の2つの宝物をあとはよろしく」と書いたこと。
父が泊まりこみで看病するために、一度仕事場から家に帰って泊まる準備と仕事を持って病院に来たその日、病室に入ったその瞬間に母が亡くなったことを知り、「はっ!!!」っと言った顔が今でも忘れられないと母祖母が言っていた。
亡くなる直前はちょっと辛そうに息が上がっていたけど、瞬間手がこぼれ落ち、亡くなったこと。

僕の知らないことばかりでした。
母が死んで20年目に初めて聞いた事実。
僕は涙が止まりませんでした。

これからの話

ここまで育った僕を産み落としてくれた、大事な大事な母。
今この姿を見れない母の期待に応える為にも、僕はもっともっと自分のやりたいことを頑張らないといけない。
生半可な覚悟じゃ駄目だし、中途半端にはしたくない。

絶対たくさん歌の練習するし、
めっちゃいい歌詞書くし、
めっちゃDTMも勉強してアウトプットたくさんしていきたい。
(もちろん仕事もたくさんやるよ。)

そしていつか武道館で歌いたい。
その時は今までで一番大きい声でお母さんにありがとうって言いたいな。



ふぃーーーーーあぶなかったーーー、もう少しで涙こぼれそうな感じだったw
せーふ。
男はいつまでたってもマザコンだなーw

そんなこんなで、とても貴重な経験をした一日でした。

よっしゃ!

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